お問い合わせはこちら TEL.0858-76-1111(智頭町観光協会)
〒689-1402 鳥取県八頭郡智頭町大字智頭545
塩屋出店は江戸時代後期・天保年間(1830〜43)に石谷家の分家で、塩屋本家の石谷伝三郎(〜1799年没)の次男、本石谷家六代目・伝九郎の弟である吉兵衛が店をおこしたのが始まりです。
当時は「横町の新別家」と呼ばれていました。
それより二代目・元左衛門までは問屋稼業を、三代目・吉平(明治18年没)の代では明治4年頃は智頭宿の庄屋を務め、明治5年には村長という記述が出てきます。
商鑑札の木札には「煉り油・吉平」とありますから(右図)、雑貨商や宿屋、金融業などを手広く営み財を築いたといわれています。
次に家業を継いだ四代目・愛蔵(昭和17年没)は陸軍の主計局長を務めた人物で、昭和5年頃に主屋裏の敷地に洋館を建てたといわれています。
また主屋は、明治22(1889)年9月の大火で焼失しましたので、主屋は明治初期〜中期の建築と考えられています。当時は雑貨類や郵便物を扱っておりましたが、後に歴史的建造物として保存・修復し、町民によって広く活用されることになりました。
桁行規模の大きな町家で、廊下をもつ形式や町家に玄関を付ける形式とするなど、近代の町家の特徴をみせ、智頭宿の歴史的な町並みの形成に大きく寄与しています。
平成12年に国登録有形文化財に登録。
塩屋出店はJR智頭駅の北北東約600m、国道53号線の北側に位置し、桁行10間半、梁間四間の規模で、切妻造、瓦葺で、西面して建っています。
主屋の奥に洋館・納屋・物置と続き、敷地全体に対し西・南側にL字型の配置がされているのが特徴です。
見どころの一つは一面ガラス張りの縁側と日本庭園。
敷地の東側の庭園に面する縁側はすべてガラス張りで、座敷から庭を楽しめます。
ガラス戸を開ける際には、一本引きのレールを雨戸のように一か所にまとめます。
建設当時のままのガラスは全て手作りで、今では替えの利かない貴重なものです。
(見学の際はガラスを叩いたり、あまりお手を触れないようお願いいたします)
庭では四季折々の風景を楽しむことができ、雪の降る時期は美しい雪景色がご覧になれます。
純白の雪と深い緑や赤い南天のコントラストが堪能いただけます。
もう一つの見どころは趣向を凝らした天井。
特に二階部屋の道路側に面した天井は舟底天井とよばれ、他ではなかなか見られない珍しい造りとなっています。
舟底をひっくり返したような、中央部を盛り上げた舟底天井は、二階の階高の低さを表しています。
階高が低い理由については諸説あり、火事による木材不足で足りなかった柱の高さを補うためや、また武士が刀を抜けないようにするためともいわれています。
2階では先述の大火ののちに建てられたためか、焼けた木材の再利用や、木が継ぎ足してあるのがご覧いただけます。
また、近年改装された浴室は天井の一部を上方へ凹ませた折上げ天井で、湯気抜きには四面にそれぞれ異なる彫が施されています。
廊下の天井でもなかなか面白い細工がされておりますので、ぜひ探してみてください。
玄関土間や土間の間は根太天井という、1階の天井を張らずに二階根太をそのまま見せた天井で、その他の畳の部屋は竿縁天井になっています。
竿縁天井とは 細い木材を平行に見せた天井で、天井面にみえる細木を竿縁といいます。通常は床の間のある部屋の場合は、床の間と平行の方向に竿縁を入れ、次の間は主の間にならいます。
しかし、塩屋出店は床の間と直角に棹縁を配した天井で「床差し天井」と呼ばれ、武家屋敷に多くみられる造りで、石谷家同様に塩屋出店にも参勤交代の際に家臣団が泊っていたためだと考えられています。
広い床の間も魅力の一つ。
八畳間の床の間は脇床と書院を擁する本格的な造り。
床柱は外来の紫檀、細かい目が特徴の書院には栃の木が使用されています。
違い棚や地袋を設けた脇床と、反対側の書院は一見平書院(壁と平面になったもの)に見えるが、実は廊下側に飛び出た出書院(机のように甲板をもったもの)となっている。
智頭宿の中にあって、明治終わりの意匠は古風であり、主屋の格子戸は町並み景観を構成する重要な施設として位置づけられています。